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chronolory

 

1971-1990 | 1992-1999 | 2000-2003 | 2004-

 

 

 

1971 長野県に生まれる。
 
  
  
1987 高校二年在学中、フラワーアーティストのつちやむねよしに師事。
   
1989 上京、専修学校代々木ゼミナール造形学校デザイン工芸科平面専攻に入学。
   
1990 専修学校代々木ゼミナール造形学校デザイン工芸科平面専攻を修了。
テクノ・ホルティ園芸専門学校園芸学科フラワーデザイン専門課程フラワーデザイン専攻入学、笠原貞男に師事。在学中に花事務所フルール・ド・ノエル設立、花のパブリシティーフォト等の制作に取り組む。
   
 
 
1992 熊谷八木橋デパート95周年フラワーイベント「街に花と緑を」展の総合プロデュースを担当。
テクノ・ホルティ園芸専門学校園芸学科フラワーデザイン専門課程フラワーデザイン専攻卒業。
渋谷区千駄ヶ谷のデザイン事務所 セレンデピティ・デザインに就職、CF,TV,PV等、幅広い分野でデザインの仕事を手がける。 
テレビ東京、アミューズ製作音楽番組「MOGURA-NEGURA」の生花装飾を一年間、担当。
ケンゾー・ボーテのコマーシャルスチール撮影の美術制作。
   
1993 インターフローラ・ワールドカップ・チャンピオンの村松文彦に師事。
静岡市の株式会社村松園芸入社。
   
1994 家業の生花店を継ぐため長野に帰郷、屋号を前身の柿崎生花店からファイブシーズンズに改名。
   
1995 長野・長谷寺のイベントプロジェクトに参画。以後、数年に渡り、新井英一、イ・ジョンミ、レブンカムイ、トゥムルバ
ートル・ハスバートル等、数多くの音楽アーティスト公演の舞台装飾を手がける。
   
 
 
1998 長野オリンピック表彰式用ブーケ制作チーム参加。(デザインは村松文彦による)
柿崎順一花事務所設立。
   
1999 舞踏家・大野一雄 舞踏公演「92歳、大野一雄 長谷寺に舞う」の装飾、赤い毛氈の舞台に前座で真白の芍薬をいける。
   
 
 
2000 長野県更級農業高等学校のフラワーデザインの講師に着任。
舞踏家・大野一雄 舞踏公演「大野一雄 長谷寺に舞う2000」の装飾、2000本の秋桜を大野に捧げる。
   
2001 ファイブシーズンズを法人化、ファイブシーズンズ有限会社を設立。
   
 
 
2002 舞踏家・リチャードハートの紅蓮劇場舞踏公演「2 New Dance Pieces」に参加、舞台装置を制作。
リチャードハートとのコラボレーションによるユニットFLORIDANCEを結成し長野を中心に『Floridance』多数公演。
いけばな作家・中川幸夫と三輪和彦、高橋禎彦による「はなむすび」展 (長野・東急百貨店) にて中川幸夫がいける曼珠紗華を調達、助手を務める予定であったが、中川の体調不良のため急遽中止。
   
 
 
2003 テレビ東京の人気番組、TVチャンピオンの全国お花屋さん選手権にて優勝しフローリスト王座に就く。
初の個展「connect」開催(長野市・犀北館ホテル ボールルーム)、中川幸夫へのオマージュとして、つちやむねよし、笠原貞男、村松文彦ら300人の来場者と共に大作『チューリップ星人の襲来』を制作。ガラス作家・高橋禎彦とコラボレーション、ガラス作品『つぶ』他を展示。
善光寺御開帳プレイベント「BUDDA ROAD MUSIC」にて、『善光寺御開帳献花』をイ・ジョンミらアジアのミュージシャンの音楽に合わせてインスタレーションし展示。
スウェーデン・ストックホルムにてリチャードハートと共に初の海外公演 「太陽の光を失った皮膚の色=The Color of Skin in the Absence of Sunlight?」、及び個展「太陽の光の不在=In The Absence of Sunlight」開催。
ヘアサロンのショー「ALPHA Japanesque」(長野・水野美術館)の為に、竹と胡蝶蘭による大作『波の軌跡 ・洞門』、『contrast』他を制作する等、空間演出を担当。
   
 
 
2004 「北大路魯山人 自然美に目を向けよ」展 (長野・桜華書林)にて魯山人の器に萎れたフキの葉と荒獅子椿をいける。
写真家・荒木経惟の「花人生」展(長野・北野美術館別館)にて『荒木経惟へのオマージュ』と題し荒木経惟とコラボレーション、中川幸夫のガラス作品30点にいける。また、同展にてインスタレーション『ハナマツリ・アラーキーに捧ぐ』を公演、後藤剛史の笛に乗って舞うリチャードハート頭上から花々を散華し、その残骸をいける。

 

 

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